『長い休日』を鍵とした読み解き

この短編は、折木奉太郎自身の口で省エネ主義になる原因が語られる、
彼の人物を最も端的に掘り下げた重要な一編です。

説明のため、本稿に関連する部分のみ着目し要約します。
折木奉太郎は小学校六年までは、人への貢献を厭わず、それに対して見返りを求めない性質であった。
だがある一件から、その性質は人から感謝どころか侮りを向けられるものであったことに気づきいた。
強いショックを受けた彼は、今後余計な対人関係を断つことを決めた。
その告発と決意を受け止めた姉の共恵は、それを否定せず「長い休日」に入るのだと表現し、
「休んでいるうちに心の底から変わってしまわなければ……。/きっと誰かがあんたの休日を終わらせる」と伝える〜

折木奉太郎は怠惰ではない

ここで重要なのが、彼がこの時点で後の「省エネ主義」に繋がる決意を述べるのは、
怠けるためではなく、他者に「つけ込まれるのだけは嫌だ」からだと言っている点です。

数年の時を経た彼が、怠惰な人間を自任しているのは「誤魔化し」であると言えます。
また〈古典部〉シリーズの多くが、折木奉太郎による一人称で語られ、
「読者」への意識も少ないことから、彼が自分を怠け者と評するのは第三者へのアピールではないと考えます。

【仮説1】

  • 折木奉太郎は、主人公であり物語の語り手でありながら、自身について正しい認識を有していない

これを踏まえて、まず私が『連峰は晴れているか』について考えてみます。
このエピソードは、彼が自発的に謎解きを行った珍しい事件であること、
何か隠す意思は無さそうですが、動機の説明は不自然で、それを聞いた千反田も「うまく言えません」とだけ伝えています。*1
では彼が認識できなかった、本当の動機とは何なのでしょう。

私は、それを以下のように仮定してみました。
【仮説2】

  • 折木奉太郎は、自分が他者を傷つける側になってしまうことを恐れている

彼が自ら謎解きを行う(!)ことの動機となるくらいですから、
これは人からつけ込まれ、傷つく以上に避けたいことなのかもしれません。

この考えに基づけば、続いて執筆された『鏡には映らない』で、
いじめの完成を阻んだのに、その対象となっていた鳥羽には興味がないことも
照れ隠し以上の意味を感じさせます。
やや不自然に感じられる鳥羽の折木に対する態度は、ある時点*2で、
折木が自分を助けるための行動ではないと察した故と理解することもできます。

ではなぜ彼は『愚者〜』『クド〜』では他者の心を推し量れなかったのか

これに突き当たるわけです。そもそもこの疑問がなかったら、
彼の行動は優しさや気遣いによるもので理解できたはずでした。

探偵として高い能力を発揮しながら、他者への共感に関しては
アンバランスな行動を取る彼をどう理解すればいいのか。
正直なところ、これに関して私は自信を持って指摘できる手がかりは見つけられていません。
指摘できる根拠のない想像ですが、
折木奉太郎は、他者を「共感」ではなく理詰めで「解読」する癖をつけてしまっている”
のではないか、と考えています。

近著での彼は、ずいぶんと和気あいあいとした雰囲気も出しているので、
どうもこの考えの筋は悪いかなとも思っているのですが…。

「長い休日」を終わらせるものはとは何か

これ以上は、妄想になってしまうので〆ようと思います。
古典部〉シリーズは、ものすごく繊細な感受性を持った高校生たちの話です。
中でも、千反田える折木奉太郎は群を抜いて不器用で繊細な人間でしょう。
彼らがもがき、助け合いながら自分自身を乗り越えていく。
そういった話を、今後も期待しています。

おわりに

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」
という折木奉太郎のモットー。誰もが突っ込む冗長な言い回しは、
これが彼の本意ではない事の象徴でもあるのではないかでしょうか。

本当に奉太郎ってかわいいですね…

*1:この言い淀みを、恋愛感情の芽生えによるものと捉える解釈もあるでしょうが、私は彼女の直感が折木の深い部分に触れかけた場面と解釈しています。

*2:鳥羽は、「一昨年の冬に同じことを聞かれていたら喜んで答えていた」と語っている